* * *
「会社案内を作りたいんです」
その言葉を聞いた瞬間、赤坂ゆりの頭の中には、これまで覚えてきた印刷技術が一斉に浮かんだ。特色。箔押し。紙の手触り。写真を使う大きさ。折って、綴じて、一冊にするまでの工程。
第一印刷に入ったばかりの頃なら、「何部ですか」と聞くのが精いっぱいだった。今なら、もう少し役に立てる。
「高級感を出すなら、表紙に箔押しもできますし、紙も風合いのあるものにして、会社のテーマカラーがあるなら特色にして――」
隣で緑野弘治が咳払いした。第一印刷の営業課長で、ゆりが勢いよく話し始めると、なぜかたいてい一度は咳をする。
ゆりは止まらなかった。
「あと、写真はできれば元データをください。大きく使うものは、先に確認した方が――」
「赤坂」
「はい」
「まだ何も聞いてないぞ」
「会社案内ですよ?」
「それしか聞いてないだろ」
ゆりは開きかけた紙の見本帳を、そっと閉じた。
* * *
依頼主は、熊本郊外で金属加工を営む「河本精機」だった。創業46年。従業員32名。大型のマシニングセンタや五軸加工機を使い、自動車部品や半導体製造装置向けの精密部品を作っている。
訪ねた会議室には、工場の低い運転音が届いていた。棚に並ぶ加工品は、どれも手のひらに載りそうな大きさなのに、持ち上げるとずっしりしそうだった。
社長の河本正巳は69歳。創業者である。その隣に、息子で常務の直樹、41歳が座っていた。
テーブルに置かれた古い会社案内は、十年前に作ったものだった。紺色の表紙に銀の文字。角が白く擦れている。中には機械の写真が並び、型番と加工できる大きさが細かく書かれていた。
「すごくちゃんとしてますね」
ゆりが言うと、直樹は苦笑した。
「ちゃんとしてはいるんです。でも、これを学校へ持っていっても、あまり開いてもらえなくて」
「機械は全部載せとる」
正巳が一ページを指した。
「これば見たら、うちで何ができるか分かる」
「取引先ならね。学生は型番だけ見ても分からんたい」
「機械に興味があるなら見るだろもん」
「興味を持つ前の人にも渡すとばい」
直樹は父の指が離れるのを待って、冊子を自分の方へ寄せた。正巳はすぐに、隣の機械の写真を指した。
緑野は二人の間に見積書を出すこともなく、話を聞いていた。
「今回、この会社案内を一番渡したい相手は誰ですか?」
「取引先」
「学生ですよ」
答えが重なった。
ゆりはメモに書きかけた「取引先」の横へ、「採用」と足した。どちらにも丸をつけようとして、手を止める。
「今、一番困ってるのは採用なんです」
直樹が言った。
「求人を出しても若い人が来ない。専門学校の説明会にも出るので、そのときに使えるものをと思って」
「仕事ば取る方にも要るだろもん。この冊子に載っとらん機械も増えとる」
「だけん作り直そうて言いいよるたい」
緑野は古い会社案内の、機械の写真と型番を順に見た。
「用途を分けて二種類作る方法もあります。共通の冊子に、採用向けの案内を挟む形も考えられます」
「二種類だと、費用も倍ですか?」
直樹が聞いた。
「共通で使える写真や原稿もあるので、単純に倍とは限りません。ただ、別々に制作する部分は増えます。まず予算と、いつ使うかを教えてください」
直樹が用意していたメモを出した。緑野は説明会の日に丸をつけ、予算を書き留める。ゆりが最初に話した箔押しは、まだどこにも書かれていなかった。緑野は必要な部数と、説明会までに届ける日も確かめた。
「できれば、今回は一冊で」
直樹が言った。正巳もうなずいた。
「では、どちらを先に考えるか決めましょう。そのために、もう一つ」
緑野は二人を見た。
「読んだ人に、何をしてほしいんですか?」

* * *
正巳はすぐには答えなかった。直樹も、予算のメモを見たまま黙っている。
会議室の向こうで、台車の車輪が床の継ぎ目を越えた。
「取引先なら」
正巳がゆっくり言った。
「うちなら難しいもんでも作れる、と分かってもらわなん」
「そのあとは?」
「図面ば持ってきてもらう。できるかどうか、相談してもらえばよか」
「では、採用なら?」
「ここで働きたいと思ってほしいです」
直樹が答えた。
「その場で応募までしてもらう想定ですか?」
「そこまでは……まず見学に来てもらえたら」
緑野がうなずく。ゆりもメモに「工場見学」と書いた。「採用」より、少し書きやすかった。
「何が分かれば、見に行ってみようと思うでしょうか?」
「工場がきれいとか、どんな仕事をするのか、とか」
「機械も見たかろう」
正巳が言った。今度は直樹も、すぐには否定しなかった。
「見たか人もいるて思う。でも、入ったら自分が何ばするとか、僕らが説明できとらんとじゃなかかな」
緑野はペンを置いた。
「社員さんに聞いてもいいですか?」
二人が顔を上げた。
* * *
工場へ入る前に、直樹から見学可能な範囲を教わった。撮影できない製品もあるという。ゆりはカメラを鞄へ戻し、ノートを持った。
金属と油の匂いがした。第一印刷とは違う機械の音が、建物の中を満たしている。通路に引かれた線をたどり、作業の区切りがついた人から話を聞いた。
緑野は、機械の名前より先に人の名前を尋ねた。
23歳の若手作業員に、入社したきっかけを。51歳のベテランには、一度会社を離れたのに戻ってきた理由を。検査担当の女性には、新人が何につまずくかを聞いた。
若手は最初、社長の方を見ていた。
「何でん言うてよかっですか」
「会社案内に書かるる範囲でぞ」
直樹が答える。正巳は腕を組んだままだった。
「最初の三か月、機械は触らせてもらえんかったです」
「当たり前たい。刃物ん回っとっとぞ」
「毎日、測定ばっかりでした。ノギスてのマイクロての、測って、記録して」
「嫌になりませんでした?」
ゆりが聞くと、若手は少し笑った。
「なったですよ。何しに来たっだろかって」
正巳の眉が動いた。若手は、今度は社長を見ずに続けた。
「でも、初めて自分で加工したもんば測ったら、ずれとって。それまで何となく見とった数字が、急に自分の数字になったっです」
「自分の数字?」
「自分が作ったもんの寸法、っていうか。測れんかったら、ずれとることも分からんかったなって」
ゆりはノートへ書きつけた。工場の音に紛れないよう、若手が少し顔を寄せる。

「初めて機械ば使うた日は、社長がずっと横におったです」
「恐ろしかけんな」
「俺がですか?」
「お前ん手元がたい」
若手が笑った。正巳も口元だけ緩めた。
緑野は、そのあと何を一人で任されるようになったのかを聞いた。直樹も、初めて聞く話のように耳を傾けていた。
* * *
昼前まで話を聞いた。会議室へ戻る頃には、ゆりのノートは文字でいっぱいになっていた。
最初の三か月は測定。失敗した品物を捨てず、原因を一緒に確かめる。一度辞めた社員が、八年後に戻ってきた。使っていた工具箱が残っていた。
機械の型番は、ほとんど書いていない。
「設備一覧は、最新のものをいただけますか」
緑野が頼むと、直樹が資料を取りに立った。
正巳は古い会社案内を見ていた。
「こがん話で、見学に来るかね」
「来るかどうかは、まだ分かりません。ただ、入ってから自分がどう働くかは、今の冊子より想像できると思います」
緑野は、ゆりのノートへ目を向けた。
「まずは説明会で渡す相手を中心に組みませんか。設備や加工事例も残して、取引先にはそこを開いて説明できる一冊にする。何でも同じ量で載せるのは難しいですが」
正巳は、角の擦れたページを一度めくった。
「機械は省きすぎんなよ」
「必要な情報は、確認していただきます」
資料を持って戻ってきた直樹が、父を見た。
「それでよか?」
「案ば見んと分からん」
緑野はうなずいた。
「では、構成から見てください」
* * *
帰りの車で、ゆりはノートを開き直した。取引先、採用、工場見学。最初のページと最後のページでは、書いてある言葉がずいぶん違った。
赤信号で止まったところで聞く。
「緑野さん、今日ほとんど印刷の話してませんでしたね」
「してたよ」
「紙も、何ページにするかも決まってません」
「それはこれから詰める」
「でも、お客さんは会社案内を頼んだんですよね」
「会社案内を使って、何かしたいんだろ」
ゆりはノートへ目を落とした。
「見学に来てほしい」
「そう。取引先には、加工の相談をしてほしい。チラシを頼む人なら、店に来てほしいのかもしれない。紙を渡して、その先に何が起きてほしいかまで聞かないと、勧めようがない」
「じゃあ、印刷屋って何を売ってるんです?」
「伝える方法」
信号が青になった。緑野は前を向き、ゆっくり車を出した。
「紙は、その方法の一つ」
ゆりは、朝いちばんに見本帳を開いた自分を思い出した。勧めたかった紙の手触りは、まだ指に思い出せる。その紙で何を読んでもらうかは、考えていなかった。
「今日、箔の話しなくてよかったですね」
「しただろ」
「止めてもらってよかったって意味です」
「次は自分で止まれ」
ゆりはノートの余白に、「誰に渡す」と書いた。
* * *
第一印刷へ戻ると、ゆりはDTP室で青原肖子に話をした。
工場の低い振動を背に扉を閉めると、キーを打つ音が近くなる。青原は一度保存してから、ゆりのメモを受け取った。
「今回は、採用説明会で使う方を優先するんですね」
「はい。取引先にも渡すけど、設備の話だけで始めないようにするそうです」
「掲載する設備一覧は、こちらが最新版ですか?」
「先方から届いたら差し替えます。それ、まだ古い方です」
青原は紙の上へ小さな付箋を貼った。
「では、未確定としておきます」
「緑野さんと、話早いですよね」
「必要な情報があれば、確認はできます」
「褒めてます?」
「何をですか」
ゆりは笑った。青原はメモの「工場見学」に線を引いた。
「申し込み先は、どこへ載せますか」
ゆりは少し黙った。見学に来てほしい、と何度も書いたのに、その入口はまだ空いていた。
「確認します」
「お願いします」
ゆりはメモの「工場見学」の下に、申し込み先と書き足した。後日届いた連絡先は、構成案の段階で先方と確かめることになった。
* * *
三日後。河本精機の二人が第一印刷へ来た。
緑野が出したのは、写真の位置と文章の順番を仮に置いた構成案だった。まだ仕上がりの色ではない。紙を折り、冊子の形にしてある。
表紙には、若い社員が測定器を使う姿。取材の終わりに撮影できる場所と写るものを確認し、本人にも了承を得て撮った、仮の写真だった。
その横に短い言葉がある。
『精度をつくるのは、機械だけではありません。』
正巳がページを開いた。
「機械は?」
「こちらです。何を加工する設備かも、短く添えます」
緑野は該当するページを開いた。正巳は型番の欄を確かめ、鉛筆で一か所を囲んだ。
「こっちはもう入れ替えとる。新しい一覧に直しとってくれ」
「はい」
ゆりが書き留める。正巳の指が離れてから、直樹が次をめくった。
社員の写真と、短いインタビュー。入社後に何を覚えるのか、誰と仕事をするのかが並んでいる。
『最初の三か月、機械には触らせてもらえませんでした。』
『八年ぶりに戻ってきたら、工具箱が残っていました。』
正巳の手が止まった。
「工具箱?」
「田上さんの話。辞めなはったあとも、親父が捨てんやったろもん」
「使える工具が入っとったけんたい」
「八年間ね?」
正巳は返事をしなかった。ゆりは、その見開きの端が少し浮いているのを押さえた。
「これ、本人が言うたとか」
「はい。掲載前に、ご本人にも文章を確認していただきます」
「……そうや」
直樹が横から覗いた。父がページをめくるまで、何も言わなかった。

* * *
「社長。この会社で、一番自慢できる機械はどれですか?」
緑野が聞くと、正巳は型番まで答えた。続けて、どんな仕事ができるかを話す。ゆりには分からない言葉もあったが、さっきまでより声が明るかった。
「その機械を、入ったばかりの人も使うんですか?」
「すぐには使わせん。まず図面ば読めて、測れて、そっからたい」
「先日、工場で聞いたお話ですね」
正巳が構成案を見る。
「よか機械ば入れても、任せらるるごてなるまで時間のかかる」
直樹が口を挟んだ。
「親父、前にも言うとったたい。機械は金ば出せば買わるって」
「そがん簡単な話はしとらん」
「五軸ば入れたとき」
正巳は少し嫌そうな顔をして、測定している若手の写真へ目を戻した。
「……機械ば使いきる人間は、金では買われん」
緑野は、すぐに次の質問をしなかった。正巳の親指が、紙の端を一度なぞった。
直樹が小さくうなずく。
「それも、伝えたいんだと思います」
「何を」
「入った人に、時間をかけるってことです」
正巳は構成案をめくった。設備のページへ戻り、さっき自分が囲んだ箇所を確かめる。
「こっちも直しとってくれよ」
「もちろんです」
緑野が答えた。今度は、正巳も冊子を閉じなかった。
* * *
会社案内は、表紙を含めた八ページの中綴じ冊子になった。
今回は説明会で手渡し、持ち帰って読んでもらう。写真と社員の言葉に場所を取り、設備一覧も読み取れる大きさで残す。足りないからと何でも小さく詰め込むと、最初の冊子に戻ってしまう。
原稿を整理している途中、直樹から社長の挨拶文が届いた。予定していた枠の倍ほどあった。
「全部入ります?」
ゆりが聞くと、青原は画面に流し込んだ。
文字が細かくなり、写真が押し下げられる。
「入れるだけなら」
「……読みたくなるかは別ですね」
「先に、残す内容を決めてください」
ゆりは直樹へ連絡した。創業当時の話と、今の加工技術の話が、ほかのページにも重なっていた。そこを移し、挨拶にはこれから入る人へ伝えたい言葉を残す。短くした原稿は、正巳にも確認してもらった。
紙は、艶を抑えたものを中心に選んだ。写真の見え方を刷り見本で比べ、めくったときの厚さも確かめる。
ゆりは、最初に勧めかけた風合いのある紙を一度手に取ってから、ほかの見本の横へ戻した。
「箔は、今回は要らなさそうです」
「残念そうだな」
緑野に言われ、ゆりは少し笑った。
「覚えたので、使いたかったんです」
「使う仕事はまたあるよ」
本番用の写真は、撮影できる場所と製品を先方に確認して撮り直した。青原が写真の色と本文を整え、黄金井が紙と印刷の段取りを確かめる。白石は刷りを見て、写真の暗い部分と小さな文字を追った。茶屋は折りと中綴じ、断裁の予定を組んだ。
ゆりは、製本前の刷本を確認台で見せてもらった。ページは読書順には並んでいない。それでも、今はすぐに事故だとは思わなかった。
「折ったら、社員紹介がここで向かい合うんですよね」
「お、覚えてる」
茶屋が言った。
「助手に昇格やん」
「営業です」
乾いた紙の端を、茶屋がそろえる。ゆりは手を引き、隣に置かれた折り見本を開いた。
印刷前に何度も動かした写真と文章が、決めた場所に収まっていた。
* * *
納品前の仕上がりを確かめに、正巳と直樹が来た。
ゆりが一冊渡すと、正巳は表紙を見て言った。
「ずいぶん普通になったばいな」
ゆりは一瞬、息を止めた。緑野は隣で、もう一冊を直樹へ渡している。
「手に取って、そのまま読める形にしました」
正巳はページをめくった。設備一覧の修正箇所を確かめ、社員紹介へ進む。
最後の見開きには、若手とベテランが一緒に図面を見る写真があった。その上に、短い言葉。
『できることを増やすより、できる人を増やしてきました。』
正巳の指が止まった。
機械の音が、応接室の扉越しに届いていた。
「……うん」
直樹が父を見る。
「うん」
それだけだった。
正巳はもう一度表紙へ戻り、角をそろえて閉じた。直樹は自分の一冊をまだ開いていた。
* * *
納品から二週間後、直樹から電話があった。
「専門学校の説明会で配りました」
「どうでした?」
「学生が、社員紹介のところで質問してきたんです」
「どんな?」
「本当に三か月、機械に触れないんですかって」
ゆりは机の引き出しから、保存用の一冊を出した。
「何て答えたんです?」
「親父が横から、『三か月で済めば早か方たい』って」
「説明会にも行ったんですね」
「機械の話なら俺がするって、ついてきました」
電話の向こうで直樹が笑った。
「それで、測定を覚えるところから見てみたいって。一人、工場見学に来てくれることになりました」
ゆりは開いたページを見た。若い社員が、測定器へ目を落としている。
「よかったですね」
「はい。採用はまだ先ですけど」
電話を切ると、ゆりはすぐ緑野を探した。向かいの席で見積書を作っていた。
「緑野さん!」
「聞こえてる」
「河本精機さん、学生が工場見学に来るって」
緑野が手を止めた。
「そうか」
「そうか、だけ?」
「まだ採用されたわけじゃないだろ」
「それ、直樹さんも言ってました」
緑野は少し笑い、予定表へ目を移した。
「見学が終わった頃に、また話を聞かせてもらおう」
ゆりは冊子を机へ置いた。緑野がその表紙を一度見てから、見積書に戻った。
* * *
夕方、ゆりは保存見本のファイルを開いた。
久世漆彩堂のカードを動かすと、箔が天井の明かりを返した。その隣には、高瀬兄弟の赤と青のフライヤーがある。
河本精機の冊子には、箔も特色も使っていない。けれど、写真の暗い工場には人の顔が見え、文字は読める大きさで並び、ページは指に沿って開いた。
「緑野さん」
「ん?」
「伝えることが一番なら、印刷の技術って二番目なんですかね」
緑野は顔を上げた。ゆりの開いている冊子を見る。
「その写真、顔が真っ黒で、文字も読めなかったら?」
「困ります」
「ページが抜けてたら?」
「もっと困ります」
「順位にしなくていいんじゃないかな」
ゆりは中央の見開きを指で押さえた。折り目のところに、二本の針金が見える。
「じゃあ、何から考えるかですね」
「相手かな」
短い返事だった。ゆりは最初の打ち合わせで書いたメモを、冊子の横へ置いた。
取引先。採用。その下に、工場見学。
「メッセージ・イン・ア・ボトル」
「何?」
「瓶に手紙を入れて、海へ流すやつ。作ってるときは、読む人の顔が見えないなと思って」
緑野は少し考えた。
「今回は、渡す相手を決めたけどね」
「分かってますよ。適当に流す話じゃないです」
「ならいい」
「もうちょっと、いい感じに乗ってくれても」
緑野は笑って、また画面へ向いた。
* * *
帰る前に、直樹から短いメールが届いた。
見学の日が決まったことと、当日は父も一緒に案内すること。その下に、学生から聞かれたという質問が一つあった。
『測定しているところも、見せてもらえますか。』
ゆりは保存見本を開いた。
写真の若手が使っている測定器の名前を、もう一度確かめる。取材したときには、機械の型番よりもずっと長く、その人の話を聞いた。
今、その話の続きを聞きたい人がいる。
冊子を閉じると、表紙の端が小さく鳴った。ゆりは角をそろえ、ファイルへ戻した。

工場では、次の仕事の紙が送られ始めていた。
まだ会ったことのない学生の手元にも、これと同じ一冊がある。
どこを開いているのだろう、とゆりは思った。

Track 07 | Message in a Bottle
KEYWORDS
目的設計 / ターゲット / 情報整理 / 会社案内 / 中綴じ / 営業と制作
TECHNICAL NOTES
「会社案内を作る」という依頼だけでは、必要な内容や仕様は決まりません。誰が受け取り、どこで読み、そして何をするためのものなのか。用途に加えて、予算、使用日、必要部数なども確認し、構成と仕様を検討します。本作では、採用という大きな目的を「まず工場見学に来てもらう」と具体化しました。読んだあとに取ってほしい行動が決まると、載せる情報や問い合わせ先も整理しやすくなります。
取引先と採用候補者では、知りたいことが重なる部分と異なる部分があります。用途ごとに分ける、共通冊子に別紙を挟む、一冊の中で情報を整理するなど、方法はいくつもあります。制作費も、共通で使える原稿や写真、仕様、部数などによって変わります。今回は採用説明会での使用を優先しつつ、設備や加工事例も残す構成です。人の話に置き換えれば、設備情報が不要になるわけではありません。
限られたページへ原稿を収めるとき、文字を小さくするだけでは読みやすさを損ねることがあります。内容の重複を整理し、見出し、本文、写真、設備一覧などの役割を分けたうえで、文字サイズや行間、余白を調整します。掲載する発言や写真、設備情報も、本人や会社に確認して確定します。「読みやすく整えること」と「内容が正確であること」の両方が必要です。
本作の冊子は表紙を含む八ページで、中央の折り目を針金で留める中綴じです。写真や文字を印刷したあと、折り、綴じ、断裁などを経て、手に取れる形になります。実際の面付けや加工順は設備・仕様に合わせて決めます。箔押しや特色を使う価値がある仕事も、通常のプロセスカラー印刷で目的を果たせる仕事もあります。加工の多さだけでは品質や伝わり方は決まりません。紙の厚さ、艶、写真の見え方、めくりやすさなどを、用途と予算に合わせて選びます。
※技術解説は物語中の状況を理解するための一般的な補足です。実際の条件や最適な設定は、印刷方式・用紙・設備・加工内容によって異なります。
